野に咲く花のように

野原や山を歩いていると、私達は様々な花を見かけます。そして、力強く、可憐に咲く花に、つい立ち止まってしまいます。手入れの行き届いた庭園に咲き誇る花と違い、野の花には、何か親しみを感じるからなのです。 日本の歴史の中で、「大道芸」は人々にとって一番身近な芸能でした。 そして、その中から、現在「伝統芸能」と呼ばれる芸術に進化してきました。例えば、歌舞伎、浄瑠璃のように。大道芸には決まった演目は有りません。劇場、コンサートホール、サーカステント、それぞれの場所から、外へ出ると、全てが「大道芸」になるのです。人々の身近で演じることで、人々は親しみを持って楽しむのです。まるで野や山で咲く花を見るように。 『三茶de大道芸』は三軒茶屋の街を、野や山に変えます。そしてそこでは、野に咲く花の様に、いわゆる大道芸人だけでなく様々なアーティストやミュージシャンに出会うでしょう。お客様も、このフェスティバルでの出会いを、身近な芸能としてお楽しみください。  

芸能者の心

大道芸は芸能の原点です。ステージも客席も特別効果を出す機材も無い、 観客と同じ目線で芸を披露し、投げ銭も観客の評価に任せます。 その為、観客と共に良い空気を作り、観る人に豊かな時を提供することが大切です。 それが芸能者の原点です。 古来、芸能者は社会の周縁に在り、被差別階級に属していました。 その厳しい環境のなかで、芸能者は芸の修練に務めてきました。そして、観る人を思いやり演じてきたのです。 そんな芸能者は縄文時代以来、優しさに溢れた精霊に守られていたのです。 その名は「みしゃくじ」といい痕跡は今も全国各地に残っています。 三茶de大道芸はその様な大道芸人達を集めて今年も開催します。 三茶の街は2日間精霊の宿る街になります。お楽しみください。

胎内のように

今、人々は、数々の社会不安と競争の日常の、大きなストレスのなかに生きています。 そんな現代において、ストレスに無縁な環境は有るのでしょうか。有るのです、それは母の胎内です。 胎児は母の胎内の海に、無心に、ゆらゆらと心地よくたゆたっています。能、金春流の創始者である金春禅竹は、その明宿集に「芸能者は胎内から生まれでたばかりの胎児のようであれ」と言っています。 『三茶de大道芸』では、三茶の街中が多くの芸能者で溢れます。三茶の街は母の胎内のように、ストレスの無い、ゆったりとした街になります。ご来場の皆様、ゆらゆらと心地よくお過ごしください。

楽園

人々は昔から楽園を夢見、求めて来ました。天国、極楽、エデンの園。はたしてそれはどんな所でしょう。花が咲き、鳥が唄い、妙なる調べが流れ、最も平和で楽しさに満ちている。そんな所でしょうか。 しかしよく考えてみると、そこでは花も鳥も自己の生存を掛けて咲き競い、声を張り上げている。妙なる調べは、エデンの園を追放されたカインの子孫たちが演奏しているのです。これが楽園でしょうか。 楽園とは、人々が互いを思いやり、尊重し合って作る、楽しさと笑いに満ちた所だと思います。 『三茶de大道芸』は三軒茶屋の街をそのような楽園にするフェスティバルです。そこここに豊かな笑いがあり、時がゆったりと流れる『三茶de大道芸』をお楽しみください。

ドリームワールド

サーカス小屋は高い梁(はり)   そこには一つのブランコだ 見えるともないブランコだ 頭倒(さか)さに手を垂れて   汚れ木綿の屋(や)蓋(ね)のもと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん               (中原中也『サーカス』より引用) サーカステントの中はドリームワールドです。 その外には世間の厳しい風が吹いていますが、 中では見えるともないブランコに、観客がゆあーん ゆよーん ゆやゆよんと揺れています。 テントの中は母親の胎内と同じ、安らぎと平和に満ちています。 大道芸の日の三茶は、まるでテントの中。 お客様は、日常を忘れて、ゆあーん ゆよーん ゆやゆよんと過ごします。 三茶の街はドリームワールドになるのです。

ルネサンス ~人の心をとり戻そう~

 14世紀の初頭、1310年にイタリアの詩人ペトラルカが初めて「ヒューマニズム」という言葉を発しました。この言葉により、長い中世の柵から解放され、約2世紀の間、イタリア・ルネサンスが自由な表現の花を咲かせました。以後、歴史は変転しましたが、「ヒューマニズム」は一貫して大きなテーマでした。  しかし、近年コンピューターの進歩により、次第に人間の存在が軽くなっている様に思えてなりません。便利と迅速を求めるあまり、この様な世の中になったのだと思います。 特に表現の世界では顕著です。  私たちはこの様な、便利、迅速とは正反対のアート大道芸をテーマにフェスティバル『三茶de大道芸』を開催し、多くのお客様にお出で頂いています。私たちは、ペトラルカの心に戻り、人の心にしみわたる様なアート大道芸をお届けします。  三軒茶屋で、良い一日をお過ごしください。

花を咲かせよう!

 その昔、世阿弥は風姿花伝で「そもそも花と云うもの、四季折々に咲くものであって、その時を得た珍しさ故に愛でられるもの。申楽においても、人の心に珍しいと感じられる時、それがすなわち面白い事である。」と云っております。三軒茶屋で季節の花と云えば『三茶de大道芸』。秋の季節に咲き、その年ならではの彩りを見せる。そんな三茶の花を求めて、毎年多くの方が来場されます。  今年も、この2日間にこの場所でしか見られない、珍しく、面白い趣向と最高の芸の”花”で三茶の街をいっぱいにして、皆さまのご来場をお待ちしております。  そして、皆さまの心にも、満開の花が咲きますように。

HASTA MAÑANA(アスタ マニャーナ)

 今年、2011年、日本は東日本大震災という大きな試練を被りました。日本中全ての催し物は、この事を考慮せずに実施する事は出来ません。  私も4月から、東京都の被災地支援の一環で、芸術文化活動の提供事業のプロデューサーとして、宮城県と岩手県の地震、津波で被災した18の市・町で小さな大道芸フェスティバルを開催し、被災された多くの人々と出会い、とても喜んで頂きました。     そして人々の、特に子供たちの前向きな明るさに胸を打たれました。津波の後の凄まじい景色、全員が悲しい体験をされているにも拘らず、心から楽しんで頂いているという実感が有りました。人は絶望的な状況ではかえって明るいのです。 HASTA MAÑANA(アスタ マニャーナ) その時、私はこの言葉が頭に浮かびました。  全ては明日、辛いこと、嫌なことは明日にして、今は明るく行こう。と云うような意味の言葉です。メキシコ人が良く使います。500年に亘る悲惨な歴史を体験したメキシコの市民が編み出した知恵だと思います。  今、日本ではあまり良いニュースがありません。HASTA MAÑANA(アスタ マニャーナ)。こんな時こそ『三茶de大道芸』。三茶の街で日常を忘れ、全てを忘れ、明るく、心から楽しんで頂きたいと共に、この明るい陽気なパワーを、被災地にお届けしたいと願っています。  最後に、一連の被災地ミニフェスティバルでは運営スタッフとして、『三茶de大道芸』のボランティアスタッフが参加し、多大な貢献をしたことをお知らせいたします。 HASTA MAÑANA(アスタ マニャーナ)

三茶の“地力”(ちりょく)そしてワンダーランド

今年も世田谷アートタウン『三茶de大道芸』の季節になりました。 お陰さまで『三茶de大道芸』は、多くのお客様にお出で頂いて、年々成長し、日本を代表する、大道芸フェスティバルになることが出来ました。このことは、当然、地域の人々、せたがや文化財団、各地から集まるボランティア、世田谷区の総力を結集して初めて成し遂げられたものと思います。しかし、それだけで、このようなフェスティバルが出来るか、というとそうではありません。何処の地域でも出来ることではないのです。三軒茶屋の地の力、地力に負うところが大きいのではないか、と考えています。 三軒茶屋は、フェスティバル以外の日常の日々に、すでに、つい日常の時間、様々な制約を忘れさせる空気が流れています。迷宮なのです。その様に繁栄する三軒茶屋の地力に感謝しつつ、世田谷アートタウン『三茶de大道芸』では、アートをテーマに、世田谷パブリックシアター内、それの位置する、三軒茶屋、太子堂の街が会場になり、街中を飾り、アーチストがそこここで演じ、通りには怪しげな物の怪が徘徊する、ワンダーランドに変貌します。 今年の世田谷パブリックシアター内、恒例となりました「三茶deバラエティー」では『不思議の国のアリス』を上演します。アリスがウサギを追って穴に落ちて行った先は、実は三茶de大道芸の会場だったのです。皆様も日常を忘れて、アリスと一緒に不思議な経験をして頂きたいと願っています。

太古の風

 今、世界中150以上の国々で、大道芸フェスティバルが開催され、多くの人を集めています。そしてそこで、人々を最も多く集め、心を捉えるパフォーマンスには共通点があります。それは、怪異、物の怪があらわれ、又それを表現するパフォーマンスなのです。これには、人種、民族、宗教、国家に係らず多くの人を集めています。みんな妖怪変化が大好きなのです。三茶de大道芸にも第一回のオルストラート(仏)以来最近おなじみのダークラクー(仏)まで得体のしれない物の怪が毎回スペシャルゲストとして出演し、多くの人々の心をときめかせ、大成功してきました。私は、最近、大道芸とは何なんだろうとよく考えるのですが、大道芸の魅力の根源はここにあるのだと気がつきました。  250万年前、アフリカにいたアウストラロピテクスは人類の祖先として、道具を残し、壁画を残しました。その絵は何とも得体の知れない妖怪としか思えないものです。その他、先史時代の壁画はほとんど怪物です。なぜなら、人々は、恐れるものを絵にし、神としてそれを祈ったのでしょう。人は、今でも闇の中にいると、何やら得体の知れない妖怪を見たりすることがあります。それは目で見るのではなく、心に浮かんだ映像が現れるのです。それは太古の人々と何も変わらないのです。大道芸フェスティバルで目の前に怪異、物の怪があらわれた時、人々は太古の人々と同じ怖れと、興味に惹きつけられてしまうのです。  同じ心と、同じ風の中で太古の人々と、現代の私たちが、感動を共有しているとしたら、何と素晴らしいことでしょう。今年も三茶de大道芸には心やさしい怪異、物の怪がたくさん登場します。三軒茶屋の街と三茶de大道芸に太古の風が吹くのです。