祭りはカオス(混沌)だ

 昔、昔私たち人間は、ほんの小さな集団で、たとえば家族だけで家を建て、好きなように移動して生活していました。皆心優しく親切な人たちでした。人々は好きなように行動し、好きなことを 話していたに違いありません。カオス(混沌)の時代でした。それが次第に集団になってくると、そこには秩序が生まれ、制度が出来、上下関係が出来、やがては権力が生まれたのです。だんだん息苦しい世界を自分で作り上げていったのです。  そして今、どうでしょう。皆自由でしょうか?なんとなく自由に、独創的に発想したり、発言したり、行動したりしているようでも、マスコミ他の大量の情報によって影響され、支配されてはいませんか。  三茶de大道芸はカオス(混沌)です。フェスティバルのエリア、そこには何の制約も有りません。好きなように行動し、気に入ったショーを見て、好きなことを話し、食べ、誰にも影響されない一日をプログラムし、過ごしていただく為にあります。街並みは、日頃の三軒茶屋とは様相を変え、そこここに見慣れぬものを見つけるでしょう。ショーも音楽も、テレビ、ラジオからは流れてこないものに出会います。街の人も、店も、スタッフもアーチストも全力で皆様の素敵な一日のお手伝いをします。大道芸は、自分の気に入ったものをお客様自身が見つけ、楽しむものです。大通りにも路地裏にもいろいろなものが有りますよ。是非自分の楽しみを見つけて下さい。そして新たな三軒茶屋を発見して下さい。

三茶の街は神様だらけ~追われた神々の帰還~

昔、昔、ほんとに大昔、人々には、それぞれに自分の神様がいました。それは心優しい神々で、山、木、石、生き物など、目に見えるもの全てが神でした。人々は豊かな収穫と明るい明日を思って祈りました。 その後、村が出来、集団が大きくなって、国になると、それぞれの神々は、村の神、国の神に取って代わられ、何処かへ追われてしまったのでした。今、地球は自然破壊が進み、そんな神々のことはすっかり忘れられてしまったようです。今年、10月20・21日には三軒茶屋の街にそんな心優しい神々が帰ってくるのです。 三茶の街は今年もラビリンス。大通りを歩いていても、どっかの路地に迷い込んでも、其処ここで、そんな神々に出会うでしょう。そうです。各ポイントで演じているアーティストも、道で出会うウォーキングアーティストも、フェスティバルを運営するスタッフも、皆そんな神々なのです。皆様が楽しくて、日ごろの出来事をつい忘れてしまうフェスティバルになりますよう、頑張っています。心の神々との出会いを楽しんでください。

大道芸で三茶の街はラビリンス

「三茶de大道芸」の日、三茶の街は突然ラビリンス(迷宮)になります。 地下鉄を降りて地上に出ると、もうそこはラビリンスの真っ只中。見慣れた街がいつもと違ってどこか怪しい。すれ違う人々も、聞こえてくる音楽も、そして風景も。そこ此処で出会う大道芸は世界中から選りすぐったアーチスト。身近で見る、普段見られない高い技術と芝居がかった演出、アナーキーなコメディーに、笑いながらも結構心に響く。怪しく、妖しい芸人達はラビリンスの住人の心優しいフリーク達だ。 つい心が躍っていつも通らない小路に足を踏み入れる。すると何とそこは美術館、アートマーケット。そこには美しく、妖しい作品の数々が。あなたは知らず知らずにラビリンスの奥へ奥へと迷い込む。そしてラビリンスの住民の仲間になる。あなたは三茶の街の今まで気がつかなかった楽しさ、魅力に気が付くでしょう。 お陰様で三茶de大道芸も今年で10年。これからも、街、アーチティスト、スタッフ等ラビリンスの住人は皆様の1日がもっと素敵な1日になりますようがんばります。

大道芸フェスティバルについて

 今、世界にどのくらいの数の大道芸人がいるのでしょう。恐らくものすごい数だと思います。国によっては、国家的に奨励し、海外に送り出している所もあります。たとえばボリビアとか。又、ジプシーのように、民族的な特色として芸能の才能が高く、定住を嫌う人達もいます。  私は東京都でヘブンアーチストの審査をして、書類審査も含めて約2000人の芸人を見ました。これは東京都だけ、申請者だけのことで、都内に本当はどの位の芸人がいるかは分かりません。まして日本全国となると。  しかしこの人達を全てアーチストと呼ぶわけにはいかないのです。アーチストとは弛まぬ鍛錬、考え抜かれた独自の構成、演出、そして天分が無ければなりません。アーチストはいつも緊張し、苦しんで演技し、演奏して観客を楽しませます。もちろん本人はその瞬間が大好きなのは言うまでもありません。このようなアーチストがストリートで演じた時、それは観客に楽しさの外に時には人生に係るような影響を与えるのです。  20世紀初頭の天才魔術師フーディーニはロンドンでの大道芸人時代、その鮮やかな脱出芸でロンドン市民に彼らの絶望的な貧しく苦しい生活環境から自分も抜け出せるのではないかと思わせ夢を与えました。観客にとって大道芸を見ることは多くの場合偶然の出会いです。それは大道芸フェスティバルの観客にとっても、見るショーは出会いです。芸人はショーが終わると群衆の中に姿を消してしまい、後で隣に立っていても見分けがつかないことが良くあります。それ故、劇場で見るのと違った大きな印象を受けるのです。その一瞬の出会いが素晴しいアーチストであればそれは一生の思い出となるでしょう。私のプロデュースの大道芸フェスティバルはそのようなアーチストで構成されているのです。観客はより深い楽しみを見つけることでしょう。